音楽理論はわからない
私は楽譜がほとんど読めず、音楽理論もわかっていません。曲は感覚だけで作っています。性格的に、知識が先に立つと型にはまってしまうと考えているためです。
作曲の際は、1音ずつ「ドレミファソ」と音を鳴らしながら、心地よく感じる音を探しています。効率の良い方法ではないので、1曲を作るのにかなりの時間がかかります。
演奏できる楽器はギターだけです。ピアノは弾けませんし、ギターもコードの押さえ方を知っている程度です。
以前、絶対音感のある音大出身の方に、自分が作った曲の譜面を見てもらったことがあります。そのときの感想は「珍しい」の一言でした。良い意味だったと思うことにしています。
どこからが「AI作品」なのか
最近はSuno AIなどの音楽生成AIが登場しています。それに伴い、どこまでAIに任せると抵抗を感じる人が出てくるのかが気になっていました。
考えられるパターンはいくつもあります。Studio OneなどのDAWソフトを使わず、すべてをAIに任せる場合。演奏も録音もせず、AIに任せる場合。自作のメロディを読み込ませて、演奏全体をAIに任せる場合。自分で一通り作った音源の編曲をAIに任せる場合。足りない楽器パートや、アイデアの補完だけをAIに任せる場合。どこで線を引くべきなのか、私にはよくわかりません。
さらに言えば、DAWソフトで作った楽曲の最終的なマスタリングで、iZotope OzoneのAIアシスタント機能(Master Assistant)を使うケースもあります。これをAI作品と捉える人がどれくらいいるのかも、判断が難しいところです。
私なりに整理すると、次のようになります。歌詞も曲もAIに生成させた場合は、AI作品です。歌詞だけを自分で考えた場合は、作詞は本人、楽曲はAIによるものです。では、ほとんどのパートを自作し、ドラムだけをAIに任せた場合はどうか。AIを利用していることは確かなので、「AIと協力して作ったオリジナル曲」、あるいは「AIがあったからこそ完成した曲」という表現が、現時点では実態に近いと考えています。
受け入れるかどうかは人それぞれ
結局のところ、AIが関わった制作物を受け入れるかどうかは、聴く人それぞれの判断になります。
また、今後AIの品質がさらに向上すれば、人が作ったものかAIが作ったものかを、電子透かしのようなデジタル情報の埋め込みでしか判別できなくなる可能性も十分にあります。
楽曲がどう使われるか
私個人としては、作られた楽曲がどのような形で使われるのかが重要だと考えています。
SpotifyやAmazon Musicなどの配信サービス上で再生されるだけであれば、AIの比重が大きい作品として受け取られやすいと思います。一方で、その音源をもとに人が生演奏をし、観客の前で披露するような使い方であれば、それは実際に人の手で鳴らされる音楽になります。
現時点では、AIによる制作物は平均的な方向にまとまりやすく、人の心に深く残る作品を作れるようになるまでには、まだ時間がかかると思います。仮にそれが可能になり、AIによる音楽が主流になったとしても、聴くのが人間である以上、最終的には人間らしさが求められるのではないかと考えています。
そのため、AIにどこまで作らせたかよりも、その楽曲をどう活かすかのほうが大切だと感じています。言い換えると、「誰がその音を鳴らすのか」が、楽曲の価値に直結するということです。
作品の届け方
音楽に限らず、画像や動画についても「人が作ったものか」「AIが作ったものか」を意識する時代になりました。だからこそ、人と人が直接向き合う機会は、これまで以上に貴重になると思います。
制作過程でAIとどう距離をとるかよりも、作品の届け方を見誤らないことのほうが本質なのではないか。今日はそんなことを考えた1日でした。